「月刊サティ!」2006年3月号、4月号に、アチャン・リー・ダンマダーロ師による「みんなのダンマ」が掲載されました。これは、「パーリ戒経」中にある仏教徒が自らを善き人間に鍛える実戦の指針で、6つの項目に分けられています。今月は3回目です。

 三番目の指針pātimokkhe ca samvaro (パーティモツケ チャ サンヴァロ「戒律に関しておのれを守り」とは、涅槃への入り口のそばに身を置き続けよ、ということです。涅槃への入り口とは何でしょう。それが戒律です。
 Mukhaはロ、あるいは入り口を意味します。Mokkhaは解放、解脱を意味します。あなたのロが解放の近くにいられるよう、食べ物(ダンマ)の近くに身を置きなさい。そこから離れたところにいてはいけません、食べ物にありつけなくなります。解放が手の届くところにあり、あなたの口のすぐそばに置いておけるよう、充分近くにいなさい。
 別の言い方をすれば、何であれ仏道に近い行動をあなたは取るべきだということです。仏道に近い、とは清らかな生括を送ることを意味します。在家のみなさんにも、出家僧と同様、清らかな生活というものがあります。在家のみなさんは二つのやり方で清らかな生活を送ることができます。
 一つ目は、八戒の最初の五つを守ることです。殺さない、盗まない、性的な行為をしない(*訳注)――これで滑らかな生暗になります――、うそをつかない、お酒を飲まない。これが涅槃の入り口のそばである、清らかな生括の一つの形です。
 在家のみなさんが清らかな生活を送る二つ目の方法は、八戒を守ることです。
 沙弥を含めた出家僧は、10ないし227の戒律に沿った自制を維持しなくてはなりません。これと同時に僧たちは、従うべき善い行いのいずれをも省いてはなりません。これはacāra-gocāra-sampanno(アチャーラ ゴチャーラ サンパンノ 具足威儀)と呼ばれます。
 定められた境界を越えて、自分が傷つけられるかもしれないような場所へ迷い込んではいけません。言葉を換えると、そうした場所に身体を行かせてはならないし、言葉を残してきてはならないし、心も行ってはならない、ということです。
 行いの粗暴な、不道徳な人とは交わらないようにしましょう。徳のない人に忠告を求めるのは止めなさい。心がそうした人とかかわらないようにしなさい。自分が目指す善さを備えた、善き人々のことを心に留めておきなさい。これが清らかな生活と呼ばれるものです。
 このように振る舞う者が、戒律に沿って自制している、涅槃のそばにいる、と言われます。